マリー・マルグリット・ピオ・ド・ラングロワズリ (スール・サン・イポリット)
任期:1751 年~1757年、1763 年~ 1766年
1702年2月11日ヴァレンヌで生まれ1781年2月10日モントリオールで死去。両親は2人ともニューフランスのエリート階級出身である。1721年姉シャルロット・アンジェリックと共に修練院に入る。2期修道院長を務める。1期目は良い状況の中で始まった。入植地は平和と調和に包まれ、2年の間入植地で死亡した者はいなかった。コングレガシオン・ド・ノートルダムはフランスとカナダ両国の教会や政府から援助を受けることが出来た。しかしアメリカ大陸で英仏間の戦いが再燃し、すべてが変わった。その中でシスターマリー・マルグリットは2回目の任期(1763年~1766年)を務めた。この期間に入植地はイギリスの手に渡ったが、コングレガシオン・ド・ノートルダムは、パリ条約による英仏間の協定にしたがって諸事をフランスで決済した。コングレガシオン・ド・ノートルダムは幾つかの土地を売却し、それによって会の財政状態を改善した。