マリー・アンヌ・ロサルダ・ドラゴン (スール・サン・ヴァレリアン)

任期:1932年~1938年

1869年12月13日ケベック州サン・ドニ・シュル・リシュリューで生まれ1957年1月23日モントリオールで死去。1881年からコングレガシオン・ド・ノートルダムの寄宿学校で学ぶ。1888年修練院に入る。1891年誓願宣立。ベルティエの学校とモントリオールの幾つかの学校で教鞭をとる。母院での様々な任務を任される。1914年から1928年まで幾つかの支部で支部院長を務める。1932年修道院長になる。任期中に日本に支部修道院が設立された。それは非キリスト教国でのコングレガシオン最初の支部の誕生であった。任期中に腸チフス蔓延のため15人の修練者が亡くなった。任期終了後は幾つかの管理職務を歴任。エコール・ノルマル・ド・モンレアル(師範学校)の学長補佐はその一つである。

マリー・アンヌ・ロサルダ・ドラゴン(スール・サン・ヴァレリアン)

マリー・アンヌ・ロサルダ・ドラゴン(スール・サン・ヴァレリアン)