ガイ・カールトン卿の肖像

Quebec, Province of Quebec (Quebec), 1923.
ガイ・カールトン卿の肖像

ガイ・カールトン(初代ドーチェスター男爵)は1724年9月3日にアイルランドのストラバンで生まれました。1742年5月21日に英国陸軍に入隊し、徐々に階級を上げていきました。ジェームズ・ウルフと共にケベック包囲に加わり、アブラアム平原の戦いで負傷しました。数回にわたり軍事行動に参加した結果、1768年10月に「ケベック州」の二代目総督兼監督官に指名されました。カールトンは1774年に制定されたケベック法に関与しましたが、これは、とりわけフランスの民法と慣習の復活を認めるものでした。1775年、カールトンは、アメリカの独立戦争の際に新たに結成された大陸軍によるカナダ侵略を跳ね返したものの、激しい非難を浴びました。そこで1777年6月に総督職の辞任を願い出て、翌年に後任のフレデリック・ハルディマンドが到着次第、辞任しました。その後、英国軍北米総司令官に指名され、1782年3月から1783年11月までこの地位に留まりました。その後は3年間英国で過ごし、1786年4月に北米の英国植民地全体の総司令官として北米に戻りました。1786年にドーチェスター男爵という身分が設けられ、カールトンは同年8月21日に貴族に叙せられました。この日以降、全ての公式文書で彼はドーチェスター男爵と称されています。1796年7月9日、ドーチェスター男爵は英国に帰国し、その後カナダに戻ることはありませんでした。英国では陸軍元帥として軍職を全うし、1808年11月10日に英国のメイドンヘッドに近いスタビングスハウスで亡くなりました。