修道院長と総長

アグネス・キャンベル(シスターセント・アン・カーメリタ)

アグネス・キャンベル(シスターセント・アン・カーメリタ)
総長任期:2016年~現在

ノヴァスコシア州ケープ・ブレトン島のシドニーで生まれる。小学校から高等学校までコングレガシオン・ド・ノートルダム(CND)の学校で教えを受け、CNDに入会したいと望んだ。アグネスの叔母二人はシスターであった。

シドニーのザビエル・ジュニア・カレッジで一年間学んだ後、1958年、シドニーを離れモントリオールのCNDの母院に向かい、1960年、誓願を立てた。同年、聖フランシスコ・ザビエル大学で教員免許資格を取得した。1961年から1996年の間、教師/学校管理者として、ケープ・ブレトン地域で働いた。1996年に教職を退き、セントジョゼフ管区の非常勤顧問となり4年間その任務にあたり、また、小教区司牧チームの一員として働いた。その間、聖フランシスコ・ザビエル大学で教育学士号を取得し、オタワのセントポール大学で神学を学んだ。

1997年、モントリオールのマギール大学で学び、社会福祉の学士号を得た。同年、セントジョゼフ管区の副管区長に選ばれた。2001年から2005年、誕生間もないヴィジテーション管区の顧問となった。2005年から2006年は母の看護のためサバティカルを取った。2006年から2011年の間、ホーリー・リディ―マー修道院の支部長を務めた。2011年、CNDの総本部行政機関の総顧問に選ばれた。2016年のCND総会で総長に選出され、現在に至っている。


コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の総顧問会の顧問たち

コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の総顧問会の顧問たち、ケベック州モントリオール、写真:1874年。コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会 公文書局。

ジョセフィン・バダリ

ジョセフィン・バダリ
総長任期:2006年~2016年(2期)

オンタリオ州トロント生まれ。小学校から高校までコングレガシオン・ド・ノートルダムが運営する学校で学ぶ。モントリオールの修練院に入り1963年誓願宣立。その後オタワのジュニオラで学ぶ。トロントの神学校セント・マイケルズ・カレッジで神学を勉強しながらオンタリオ州とブリティッシュコロンビア州の学校で教える。1980年オンタリオ州キングストンのオテル・デュー病院のチャプレン(学校・病院・軍隊などで働く聖職者)になる。その後ブリティッシュコロンビア州の祈りの家の支部院長になり1989年まで司牧活動に携わる。オタワで副管区長を務め、1990年に副総長に選出され任期5年を務める。1997年オンタリオ州バルティモアで司牧の修士号を取得し、ブリティッシュコロンビア州のアボッツフォードの刑務所でチャプレンを務める。2001年ヴィジテーション管区長に選出される。5年後に総長に選出され、現在に至る。


ロレーヌ・カザ(スール・サント・マリー・ド・ナザレ)

ロレーヌ・カザ(スール・サント・マリー・ド・ナザレ)
総長任期:1996年~2006年(2期)

ケベック州サンジャン生まれ。サンジャンの寄宿学校とモントリオールのコレージュ・マルグリット・ブールジョワで学ぶ。1955年モントリオール大学で学士号取得。1958年誓願宣立。その後3つの学校で教える。コレージュ・レジナ・アサンタはその一つ。1962年から1964年まで米国インディアナ州のノートルダム大学で数学を学ぶ。1967年オタワのドミニカン・カレッジで哲学と神学の研究を始め、1972年修士号を取得し、1978年まで同校で教える。博士課程のため海外に渡る。イスラエルのエルサレム聖書・考古学研究所で2年間、スイスのフリブールで一年間を送る。カナダに帰国し1987年から1993年までオタワのドミニカン・カレッジの教授を務め、その後同校神学部長になる。神学部の学部長になった最初の女性である。1996年から総長(旧修道院長名)を2期務める。その後は本会会員としてロングゥーユの祈りの家で黙想会や講演の企画や、グループへの支援等を行っている。外部からの黙想会・講演・セミナーなどの依頼にも応じる。2つの本を出版。一つはMon Dieu, pourquoi m'as-tu abandonné?(神よ、どうして私をお見捨てになったのですか)と題する論文で、他はMarguerite Bourgeoys : La vie voyagère, conversante avec le prochain(マルグリット・ブールジョワ:旅する生活、対話する人)である。加えて、100以上の記事を出版している。カナダ、フランス、スイスのラジオ番組にも出演。


マドレーヌ・ロシェット(スール・サンテレーヌ・ド・ブラバン)

マドレーヌ・ロシェット(スール・サンテレーヌ・ド・ブラバン)
任期:1984年~1996年

ケベック州サンオーギュスタン・ド・ポールヌフ生まれ。コングレガシオン・ド・ノートルダムの学校で学ぶ。高校を終える頃、観想生活に興味を持つようになるが、勉強の継続を奨励され1958年から1961年までサン・パスカルの師範学校で学ぶ。1960年ボポールの修練院に入る。その後教育学の勉強を続け、モントリオール大学の学士号と教師免許を取得。中学・高校で古典を教える。その後、教育学の勉強を深めるためにサン・パスカルの母校に戻る。後にモントリオールの師範学校で同じ分野で働くことになる。1969年教育修士号取得。翌年オタワ大学教育学部の教授となり、教えながら博士課程を続け、1975年博士号取得。1978年から1984年まで管区長。1984年修道院長に選出される。1996年2期目の任期終了に伴い、ナザレ共同体に異動し、ル・ブール・ジョワとサン・ロッシュ(ケベック)の小教区で働く。仕事を通じて非常に多くの学校とキリスト教団体に貢献した。


ルイーズ・コテ(スール・サント・マリー・クレール・デザンジュ)

ルイーズ・コテ(スール・サント・マリー・クレール・デザンジュ)
任期:1974年~1984年

ケベック州ウィンザー生まれ。故郷のノートルダムの学校とシェルブルックの師範学校で学ぶ。モントリオールの修練院に入る。1950年誓願宣立。教育学、文学、語学の学士号を持つ。本会の寄宿制の中学・高校で教える。コレージュ・マルグリット・ブールジョワで修辞学を教える。本会の様々な任務を組織化するためのリサーチに貢献した。1967年宣教のため数ヶ月間ホンデュラスに渡る。1970年総顧問と総財務局長に選出され、1974年修道院長になり1984年まで同職在任。在任中の1981年にマルグリット・ブールジョワの生誕地フランスのトロワに本会の支部が設立された。1982年にマルグリット・ブールジョワが列聖された。スール・ルイーズ・コテは、カナダ修道会連盟の会長と国際女子修道会修道院長連盟の仏語系カナダの顧問も務めた。1985年から1990年までローマで国際女子修道会修道院長連盟の書記長を務める。カナダに帰国し、1990年から1992年までケベック州ガティノー・ハルの大司教の任命を受け、ミッショネール・ド・ラ・プリエール・エ・ド・ラ・ペニタンス(祈りと悔悛の宣教師会)の支部院長に就任する。その後4年間を祈りの家ソリチュード・ノートルダム・デ・ボワで過ごす。1996年にフランスのエスティサック、メリ・シュル・セーヌ、トロワへと異動する。1999年から聖別奉献生活のための司教代理、修道生活に関する教区顧問会の会長、司教顧問会のメンバーを務める。


マルグリット・ウレット(スール・サント・マルグリット・デ・ヴェルテュ)

マルグリット・ウレット(スール・サント・マルグリット・デ・ヴェルテュ)
任期:1970年~1974年

1912年7月12日モントリオールで生まれ1995年7月12日同地で死去。サン・ジャン・シュル・リシュリューのコングレガシオンの学校で学ぶ。1932年8月26日志願院に入るが、健康上の理由により養成を一時中断する。1942年修練院に戻り1943年誓願宣立。教員として25年間のキャリアのうち、21年間は大学で教鞭をとった。最後の12年間は幾つかの家政学校の管理職を任された。そのうち一校、オタワ大学の姉妹校である家政学校を創立したのはスール・ウレットであり、1956年から同校の管理職を務めた。1970年修道院長に選出される。任期中は教育制度の大幅な改革があった時期にあたる。スール・ウレットは本会の私立学校の未来のため貢献した。任期終了後は20年間に亘って、モントリオールやフランスで司牧活動を行う等積極的な活動を続けた


ガブリエル・マシコット(スール・サン・テレーヌ・デュ・サクレクール)

ガブリエル・マシコット(スール・サン・テレーヌ・デュ・サクレクール)
任期:1964 年~1970年

1913年10月27日ケベック州ヌヴィルで生まれ1990年6月30日モントリオールで死去。1920年から姉と共にアカデミー・サン・ポールで、続いてコレージュ・マルグリット・ブールジョワで学ぶ。その後1936年に修練院に入る。1938年誓願宣立。最初の任務はケベックのコレージュ・ノートルダム・ド・ベルヴューで、この学校で11年間教えた。その後管理職を歴任し、修練長、ジュニオラ(若者養成校)の責任者、支部院長、副修道院長、総書記長を経て、1964年に修道院長に選出される。任期中の6年間は、ケベック州の教会が様々なチャレンジに遭遇した時期である。レボリューション・トランキル(静かな革命)が起こり、教育制度が改革され、エコール・ノルマル(師範学校)、家政学校、寄宿学校が閉校されるなど従来の伝統的な教育機関が大きく変化した。任期中の1970年にコングレガシオン・ド・ノートルダムはアフリカ支部の設立を決定する。任期終了後、祈りの家ソリチュード・ノートルダム・デ・ボワを設立し、6年間ここの支部院長を務め、17年間同支部の霊的リーダーとして貢献した。


ジャンヌ・ブリュレ(スール・サント・マリー・コンソラトリス)

ジャンヌ・ブリュレ(スール・サント・マリー・コンソラトリス)
任期:1952年~1964年

1900年12月23日ケベック州シェルブルックで生まれ1966年7月14日モントリオールで死去。8才まで自宅で学ぶ。その後アカデミー・サント・マリーとモン・ノートルダム寄宿学校で学ぶ。学校を終了すると家族の元に戻り三年間を過ごす。その後コングレガシオン・ド・ノートルダムに入会を求める。1923年誓願宣立。ヴィクトリアヴィルで教職に就く。その後その他の学校でも教える。1941年ラヴァル大学の姉妹校であるサン・パスカルの家政学校の校長に任命される。1947年同校のケベック市への移転に伴い、支部院長になる。その後管区長に選出される。選挙による初めての管区長である。1952 年から1964年まで修道院長を務める。任期中の1962年にコングレガシオン・ド・ノートルダムは中南米に支部を設立した。カナダ修道会連盟(CRC)の会長も務めた。


レア・マンドヴィル(スール・サン・イニャス)

レア・マンドヴィル(スール・サン・イニャス)
任期:1940年~1952年

1885年9月5日ケベック州ソレルで生まれ1977年8月22日死去。ソレルのコングレガシオン・ド・ノートルダムの学校で学ぶ。1907年修練院に入る。1909年5月4日誓願宣立。デ・セードルの支部修道院で教え始める。1924年支部院長に任命され、その後管区長になる。1938年副修道院長に、1940年修道院長に選出される。任期中に多くの学校が開校されたが、新しい学校への要請は、それに対応出来るシスターの人数を超えていた。任期中の1950年にマルグリット・ブールジョワが列副された。1952年任期終了。その後1963年までいろいろな管理職を歴任した。


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