マルグリット・ルモワンヌ・ド・サント・マリー (スール・マルグリット・サンテスプリ)

任期(4期): 1698年~1708年、1711年~1717年、1719年 ~1722年、1729年~1732年

1664年2月3日ヴィル・マリー(現在のモントリオール)で生まれ1746年2月21日同地で死去。ニュー・フランスの名士の家に生まれる。16才のときコングレガシオン・ド・ノートルダムに入会を求める。姉は当時既に会員になっていた。1682年に非公式の誓願を宣立。はじめはヴィル・マリーで教え、その後、山の宣教地で教える。24才のとき修道志願者の責任者となり(修練院長)、新しくコングレガシオン・ド・ノートルダムに入会した女性たちが修道生活の準備をする責任を任される。この仕事を10年間続けた後、コングレガシオン・ド・ノートルダムの修道院長に選出され、4期にわたって修道院長を務めた。スール・ルモワンヌ・ド・サント・マリーは任期中、マルグリット・ブールジョワの精神に忠実であり続けた。当時のサン・ヴァリエ司教はコングレガシオン・ド・ノートルダムを禁域を持つ修道会として2つに分割し、一つをケベック市に、もう一つをモントリオールに置く考えを持っていたが、スール・ルモワンヌ・ド・サント・マリーはそれに強く反対した。スール・ルモワンヌの任期中、3校が開校し、また以前コングレガシオンに属していた支部を、再びコングレガシオンに取り戻した。