マリー・ソフィー・ルイーズ・デュビュック (スール・サン・ジャン・ド・ラ・クロワ)

任期:1885年~1891年

1826 年8月24日モントリオールで生まれ1908年10月14日同地で死去。子供の時にコングレガシオン・ド・ノートルダムのシスターが運営するモントリオールのアカデミー・ド・ラ・ヴィジタシオンで学ぶ。父親が1837年の反乱に関わりその後ボストンに逃れたため、ボストンで英語を学ぶ。その後モントリオールに戻り1849年に修練院に入る。2年後に誓願宣立。ケベックの様々な学校で教える。1857年コングレガシオン・ド・ノートルダムの修道院を沿海州に作るために、ノバスコシア州のアリチャットに派遣される。1859年モントリオールに戻り、コングレガシオンの管理職を歴任。幾つかの支部の支部院長、顧問、副修道院長を務めた後、1885年修道院長となる。当時コングレガシオン・ド・ノートルダムは急速に拡大しつつあった。6年任期終了後は、1903年に引退するまで多くの学校で仕事を続けた。