マリー・カトリーヌ・ユオ (スール・サント・マドレーヌ)

任期:1828年~1840年、1843年~1849年、1855年~1861年

1791年4月30日ランジュ・ガルディアンで生まれ、1869年7月7日モントリオールで死去。オルレアン島のサント・ファミーユのコングレガシオン・ド・ノートルダムのシスターのもとで学んだ母親から教育を受ける。1809年誓願宣立。ケベックのいろいろな学校で教える。モントリオールに戻り、修道院長を3期務める。スール・ユオの監督の下でコングレガシオン・ド・ノートルダムは大規模な会員募集活動と会の拡大を行った。ケベック、オンタリオ州、カナダ沿海州、米国に多数のミッションが設立された。この当時からコングレガシオン・ド・ノートルダムは英語での授業を始めた。教育プログラムの中にも新しい科目が加えられた。

 

マリー・カトリーヌ・ユオ (スール・サント・マドレーヌ)

マリー・カトリーヌ・ユオ (スール・サント・マドレーヌ)