マリー・バルビエ (スール・ド・ラソンプシオン)

任期:1693年 ~1698年

1663年5月1日ヴィル・マリー(現在のモントリオール)で受洗、1739年5月19日同地で死去。1679年コングレガシオン・ド・ノートルダムの修練者となる。モントリオール生まれの最初のコングレガシオンの会員。1685年スール・アン・メイランドと共にオルレアン島のサント・ファミーユ小教区に学校を開く。1686年ド・サン・ヴァリエ司教の要請により、寄宿学校「ラ・プロヴィダンス・ド・ラ・サント・ファミーユ・ド・ケベック」の創立を手伝う。この学校はヴィル・マリーの「ラ・プロヴィダンス」と同様、女性たちに手仕事を教えた。1689年オルレアン島に戻り、1691年再びヴィル・マリーに戻る。1693年マルグリット・ブールジョワの後任として、同会の第二代修道院長になり、1698年まで在職。その後、幾つかの管理職に就き、亡くなるまで、教え、働き続けた。