ベロニク・ブルネ、別名レタン (スール・サント・ローズ)

任期:1772年~1778年、1784年~1790年

1726年1月13日ポワント・クレールで生まれ1810年6月12日モントリオールで死去。1744年修練院に入る。2年後に修道誓願宣立。ケベック市周辺の宣教に派遣される。1771年副修道院長としてモントリオールに戻り、一年後に修道院長になる。コングレガシオンは、イギリスによるケベック征服の影響と1768年の火災での建物崩壊のため、財政困難に直面していた。スール・ブルネは収入を得るために、洗濯や刺繍の仕事をするシスターの人数を増やした。1778年に6年の任期を終えた後、修練長に選ばれ、1784年まで在任。同年修道院長に再選される。この頃になると社会的経済的状況は以前よりも安定した。1790年副修練長に任命される。2年間、第一顧問を務める。晩年はモントリオールで、財政的あるいは時間的な事情で通常の授業を受けることができない少女たちに宗教を教え、修道会で働く召使の少女たちの衣類の洗濯や繕いに献身した。