マルグリット・ブールジョワ (スール・デュ・サンサクラマン)

任期:1658 年~1693年

1620年4月17日フランスのトロワに生まれる。1700年1月12日カナダのモントリオールで死去。モントリオールのコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会(コングレガシオン・ド・ノートルダム・ド・モンレアル)の創立者。

 

1640年ヴィル・マリー(現在のモントリオール)のポール・ド・メゾンヌーヴ総督の姉ルイーズ・ド・ショムディの監督下にあったトロワのコングレガシオン・ド・ノートルダムの在俗会に加わる。1653年植民地で働く教師を求めていた同総督の招きを受け、カナダに渡る。1658年モントリオールで同総督から譲り受けた家畜小屋で学校を開く。同じ年、教師の仕事を手伝う女性を募集するために渡仏し、4人の新しい仲間を連れて戻る。同じ頃、フランス王ルイ14世を後見人とする「王の娘たち」を受入れ、教育する。1670年再び渡仏し、ルイ14世から特許状の形で許可書を得る。数年後、スルピス会の山の宣教地に先住民の少女のための学校を開く。家政学校「ラ・プロヴィダンス(み摂理の家)」と寄宿学校も開く。1693年スール・マリー・バルビエが修道院長の職を引き継ぐ。1698年マルグリット・ブールジョワと仲間たちは、ド・サン・ヴァリエ司教から与えられた会則を受入れ、コングレガシオン・ド・ノートルダム・ド・モンレアルは修道会として公認され、シスターたちは公的に修道誓願を宣立する。同年マルグリットは回想録を書き始める。80歳になる数ヶ月前に死去。1950年11月12日に列副、1982年10月31日に列聖された。