マリー・レゼンヌ (スール・サンティニャス)

任期:1778年~1784年、1790 年~1796年

1735年7月14日ケベック州オカのラック・デ・ドゥ・モンターニュに生まれ、1811年4月20日モントリオールで死去。両親は米国マサチューセッツ州ディアフィールドで生まれた。両親はスペイン継承戦争中に先住民に捕縛され、カナダのソー・ト・レコレに連れてこられ、そこで受洗する。両親は各々コングレガシオン・ド・ノートルダムとスルピス会が運営する学校で学ぶ。戦争終了後ニューイングランドに戻らずに1715年7月29日に結婚。子供のうち3人が神に生涯を奉献する。その一人マリーは1752年コングレガシオンの修練院に入り、1754年誓願宣立。モントリオールで7年戦争を経験する。1761年オルレアン島のサントファミーユ支部の再建を手伝う。モントリオールとケベックで幾つかの管理職を任される。1778年修道院長となり、1790年再選される。在職中にフランス革命が勃発、フランスでは聖職者や修道会の資産が略奪され、コングレガシオンもまたフランスの財政担当者との接触が絶たれたため、会の財政は困窮した。1796年2期目を終了し、再び修練長になり、1802年まで在任。最後の9年間は引退生活を送った。