マリー・アンジェリック・ルフェーブル・アンジェ (スール・サン・シモン)

任期:1757年~1763年

1710年10月25日モントリオールで生まれ1766年4月28日同地で死去。16才のときにコングレガシオン・ド・ノートルダムの寄宿学校に入る。1728年コングレガシオンに入会。モントリオールで使徒活動に従事し、また重要な職務を歴任する。1757年から1763年まで修練長と修道院長を務めた。任期中に7年戦争が起こる。イギリス軍の勝利により、英国政権やプロテスタント教会が、コングレガシオンにどのような影響を及ぼすかを憂慮したが、ジェフリー・アムハースト将軍の政治に前向きな態度で協力することを選ぶ。アムハースト将軍は現状維持を奨励する。修道院長の任期終了後、2年間、再び修練長を務める。引退して数ヵ月後に亡くなった。