初めに

初めに

ここでは、創立者マルグリット・ブールジョワの誕生から現在にいたるまでのコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の歴史を年代順にご紹介します。同時に、モントリオール、カナダそして世界に起こった地政学的・社会的・宗教的出来事を背景に、本修道会の歴史を刻んだ出来事を、教育と女性の権利に重点をおいて振り返ります。本ページで、世界を背景としてコングレガシオンを全体的に眺めることにより、コングレガシオンが歴史的にどのような役割を果たしてきたか、どのように変化に適応してきたかをいっそうご理解いただけます。

時代 コングレガシオン・ド・ノートルダムの変遷 カナダの宗教的背景 世界的背景
15世紀    

1492年-クリストファー・コロンブスがスペインのためアメリカを発見する。

1497年-ジョヴァンニ・カボート(ジョン・カボート)が英国のためニューファンドランド島沿岸を探検する。

16世紀

1598年-ピエール・フーリエとアリックス・ル・クレールにより、コングレガシオン・ド・ノートルダムがフランスに創立される。

 

1534年-ジャック・カルティエが初めてカナダに到達する。

1535年-ジャック・カルティエが再度カナダに来る。セントローレンス川を遡上し、オシュラガ(モントリオールの東側)に到達。

1541年-ジャック・カルティエ、3度目のカナダ来航。セントローレンス川とキャップ・ルージュ川の合流点にシャルルブール・ロワヤル要塞が建設される。

17世紀
第1四半期

1620年-マルグリット・ブールジョワ、フランスのトロワに生まれる。

1611年-福音伝道のため、イエズス会修道士が初めてアカディアに到着。

1615年-アメリカ先住民をキリスト教に改宗するため、フランシスコ会原始会則派がケベック市に到着。

1625年-アメリカ先住民をキリスト教に改宗するため、イエズス会修道士がケベック市に到着。

1604年-アメリカ大陸に初めてのフランス植民地が建設される。ド・モン卿ピエール・デュグァがサミュエル・ド・シャンプランの協力を得て、アカディアのサントクロワ島に建設。

1608年-サミュエル・ド・シャンプランがケベックを発見する。セントローレンス川流域にフランス植民地が始まる。

1634年-トロワ・リヴィエールが建設される。

1639年-ニューフランス(ヌーヴェルフランス)の未開人を改宗するためのノートルダム・ド・モンレアル協会がパリに結成される。

 

1642年-ノートルダム・ド・モンレアル協会の依頼で、ポール・ド・ショメディ・ド・メゾンヌーヴがニューフランスに来航、ジャンヌ・マンスと共にヴィル・マリー(現モントリオール)の基礎を築く。

 

1645年-フランスとイロコワ族の間で最初の平和条約の交渉

17世紀
第2 四半期

1640年-マルグリット・ブールジョワは出生地トロワ(フランス)でロザリオの聖母の祝日の行列に参加したとき神の招きをきく。

1639年-ウルスラ会とアウグスティノ会がケベック市に到着。両修道会はニューフランスで初めての女子修道会を開設。

1639年-北米で始めての女子校がウルスラ会によりケベック市に開校。

1639年-オテル・ドュー・ド・ケベック病院がアウグスティノ会により創立。

1642年-オテル・ドュー病院がジャンヌ・マンスによりモントリオールに創立される。

1643年-木製十字架がモンロワヤル山に立てられる。これは、1642年のクリスマスにセントローレンス川の水量が増したときモントリオールが洪水を免れたことを神に感謝するためポール・ド・ショメディ・ド・メゾンヌーヴと植民者たちが建てたものである。

1648年-モントリオールで初めての女児バルブ・ムニエが生まれる。

 

17世紀
第3四半期

1653年-マルグリット・ブールジョワ、トロワ(フランス)でポール・ド・ショムディ・ド・メゾンヌーヴに会う。

1653年-マルグリット・ブールジョワ、「大募集」によって集めた百人の開拓者と共にヴィル・マリーに到着する。

1653年- マルグリット・ブールジョワ、開拓者と共に、イロクワ族によって破壊されたモンロワヤル山上の木製十字架を復元する。

1657年-ノートルダム・ド・ボンスクール教会(よき助けの聖母教会)を建設する最初の試み。

1658年-マルグリット・ブールジョワ、ヴィル・マリー(現モントリオール)に、家畜小屋を改造した最初の学校を開く。この家畜小屋は「ニューフランスの未開人を改宗しようとする団体」を代表し、ポール・ド・ショムディ・ド・メゾンヌーヴがマルグリット・ブールジョワに寄贈した。家畜小屋の学校として知られていたこの校舎は現モントリオール旧市街のサンポール通りとセントローレンス川の間に在り、コングレガシオンの最初の母院となった(1658年~1673年)。

1658年-マルグリット・ブールジョワ、ジャンヌ・マンスと共に、フランスへの初めての帰国の途に着く。マルグリットは最初の仲間となる女性(エドメ・シャーテル、マリー・レゼン、アンヌ・イウー、カトリーヌ・クロロ)を伴い、ヴィル・マリーに戻る。ジャンヌ・マンスもまたサンジョゼフの最初の看護修道女を伴い、ヴィル・マリーに戻る。

1662年-ド・メゾンヌーヴはポワント・サンシャルルをマルグリット・ブールジョワに寄贈する。

1667年-コングレガシオンを公認するフランス国王からの特許状を得ようと努力するマルグリット・ブールジョワを支援しヴィル・マリーの市民は嘆願書を作成する。

1669年-ド・ラヴァル司教はコングレガシオンが彼の教区の何処でも教えてよいという許可状を与える。その頃のド・ラヴァル司教の教区はニューフランス全体に及んでいた。

1670年-マルグリット・ブールジョワ、フランスへの2回目の旅(1670年~1672年)。

1671年-「コングレガシオン・ド・ノートルダムの在俗女性の組織」は、ルイ14世から特許状を受け、民事法により認められる。

1673年-2番目の母院(1673年~1683年)。「石造りの大きな家」として知られる。

1657年-サンスルピス会がヴィル・マリーに到着する。

1659年-ケベック最初の司教であるド・ラヴァル司教がニューフランスに到着する(1658年~1688年)。

1663年-最初の「王の娘たち」がニューフランスに到着する(1663年~1673年)。

1663年-ノートルダム・ド・モンレアル協会が解散し、モントリオール島の領主権はパリのサンスルピス会に譲渡される。

1665年-ド・メゾンヌーヴはフランスに帰国するが、1669年までモントリオール総督の地位にとどまる。

1670年-英国王チャールズ二世がハドソン湾会社を設立する。

17世紀
最終四半期

1676年-「コングレガシオン・ド・ノートルダムの在俗女性の組織」はド・ラヴァル司教による認可を受け、教会法的に認められる。

1676年-1675年に山のミッションがサンスルピス会とコングレガシオンのシスターたちにより創設され、翌年、若い先住民女性の教育が始まる。

1678年-3年にわたる建設の後、ノートルダム・ド・ボンスクール教会(よき助けの聖母教会)が落成。

1679年-マルグリット・ブールジョワ、フランスへの3回目の旅(1679年~1680年)。

1681年-マリー・テレーズ・ガネンサグアスがコングレガシオンで非公式な誓願を宣立する。アメリカ先住民出身の最初のコングレガシオンのシスター。

1683年-母院が火事で全焼。マルグリット・ソミヤールとジェヌヴィエーヴ・デュ・ローゾワが焼死。

1684年-ノートルダム通りに3番目の母院。この母院は「山の家」として知られる(1684年~1844年)。

1684年-マリー・バルビエ(スール・ド・ラソンプシオン)が非公式な誓願を宣立する。コングレガシオンで最初のモントリオール生まれのシスター。

1693年-マリー・バルビエがコングレガシオンの2番目の院長に選出される。

1695年-ジャンヌ・ル・ベールがコングレガシオンの礼拝堂の聖壇近くに自費で建てた居室に隠遁する。

1695年-リディア・ロングリー(シスター・セント・マドレーヌ)が非公式な誓願を宣立する。リディア・ロングリーは現在アメリカ合衆国である英領植民地出身で、コングレガシオンの最初の英語系シスター。

1697年-マルグリット・ブールジョワ、回顧録を書く。

1698年-コングレガシオンのシスターたちはサン・ヴァリエ司教が書いた会則を受け入れ、初めて教会法に基づ公式な誓願をヴィル・マリー(モントリオール)とケベックで宣立する。

1682年-サンスルピス会神学校がモントリオールに創立される。

1688年-サン・ヴァリエ司教が、ケベックで二代目の司教として、任期を開始する(1688年~1727年)。

1687年-モントリオールを外部から護るため、木製塀が作られる。

1690年-フィップス司令官の艦隊はケベック市陥落に失敗する。

18世紀
第1四半期

1700年-マルグリット・ブールジョワ、ヴィル・マリーで死亡する。

 

1701年-フランスのカリエール公とアメリカ先住民の39部族の代表との間で、モントリオール大平和条約が調印される。

1702年-スペイン継承戦争の勃発(1702~1714年)。

1711年-ウォーカー司令官の指揮下、ケベックを攻撃しようとした英国艦隊がセントローレンス湾で難破する。

1713年-ユトレヒト条約調印により、スペイン継承戦争が終結する。フランスは、フランス領と主張してきたハドソン湾地域、ニューファンドランド、アカディアを英国領と認める。

1719年-ケープブレトン島でルイブール要塞の建設が始まる。

18世紀
第2 四半期

1727年-ケープブレトン島(現在のノヴァスコシア)のルイブールにコングレガシオンの学校が開校する。

1745年-ルイブールがイギリス軍から最初の包囲攻撃を受ける。シスター、生徒、生徒の家族はフランスに送還される。

1747年-ポンブリアン司教がコングレガシオンの会員数を80人に限定する。

1749年-コングレガシオンの生き残ったシスターたちはルイブールに戻り、破壊された住居や学校を見る。

1727年-サン・ヴァリエ司教が死亡。

1748年-ルイブール要塞がフランスの支配下に戻る。

18世紀
第3四半期

1754年-ノートルダム・ド・ボンスクール教会が火事で破壊。

1757年-ルイブール、2度目の包囲攻撃を受ける。シスター、生徒、生徒の家族はフランスに送還される。

1768年-コングレガシオンの母院が火事で破壊される。母院は翌1769年に再建され、1844年まで使用される。

1769年-コングレガシオンはサンポール島(現イル・デ・スール)の最後の土地を購入し、全島の単独所有者となる。

1771年-ノートルダム・ド・ボンスクール教会が再建される(1771年~1773年)。

1764年-モントリオール島の領主権がパリのサンスルピス会からモントリオールのサンスルピス会に譲渡される。

1764年-ケベック州初めての新聞La Gazette de Québecがケベック市で発刊される。

1754年-七年戦争の勃発(1754年~1760年)。

1755年-英国は8千人以上のアカディア人をフランスおよびアメリカ各地に追放する。

1759年-エイブラハム平原の戦い。ケベック市が英国の手に落ちる。

1760年-英国軍がモントリオールを陥落する。

1763年-七年戦争が終結し、パリ条約調印によりフランスはその殆どの北米領土を英国に割譲する。

1763年-英国の「1763年宣言」により、ニューフランスは「ケベック州」となる。

1774年-ケベック法が英国議会を通過する。これにより、ケベックはフランス語を保持し、フランス民法がケベックの司法制度となり、宗教の選択の自由が認められ、ケベックにおけるローマカトリック教会の存続が認められる。

1774年-英国に対抗する力を結集するため、北米植民地代表が集まり、第一回大陸会議をフィラデルフィアで開催する。

18世紀
最終四半期

   

1775年-アメリカ独立戦争の勃発(1775年~1783年)。

1775年-リチャード・モンゴメリー将軍が率いるアメリカ軍にモントリオールが降伏する。アメリカ軍はケベックも襲撃するが失敗に終わる。

1776年-アメリカ独立宣言が調印される。

1783年-パリ条約が調印される。これによりアメリカ独立戦争が正式に終結し、アメリカ合衆国の独立が認められる。(注:このパリ条約は1763年の同名の条約とは異なる。)

1783年-ノースウェスト会社(北西会社)が設立される。モントリオールに本拠を置く。

1784年-英国はノヴァスコシア植民地を3つに分離し、ニューブランズウィック、ケープブレトン島、そして現在のノヴァスコシア半島となる。

1791年-カナダ立憲条例により、ケベック州はアッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)とローワー・カナダ(現在のケベック州)に分離される。同条例により、男女の差別なく、すべての土地所有者は立法議会の議員を選出する選挙権を獲得する。

19世紀
第1四半期

 

1801年-最初の学校法がロウアーカナダ(ケベック)で通過する。この法令は国家全面融資による学校を設立することを目的とする。

1821年-ケベック市の司教区から自立して、モントリオール司教区が設立される。

1824年-第2の学校法が通過する。この法令は小教区学校法として知られ、小教区に学校を設立することを認めるものである。

1812年-アメリカ合衆国とカナダの間で、1812年戦争(1812年~1815年)が勃発する。

19世紀
第2四半期

1841年-コングレガシオン最初の英語系学校がキングストン(現在のオンタリオ州の町)に開校する。

1843年-ブルジェ司教はコングレガシオンの会員数を限定する規則を廃止する。

1844年-サンジャン・バティスト通りに母院が移る(1844年~1880年)。4番目の母院。

1829年-第3の学校法が通過する。この法令は信託学校法として知られ、立法議会融資による学校を設立し、土地を所有する住民により選出された理事がその学校を運営することを認める。

1833年-ロウアーカナダで奴隷制度が廃止される。

1836年-教皇グレゴリオ十六世はモントリオール司教区を教会法に則った司教区として認める。

1837年-ロウアーカナダで愛国者の反乱、アッパーカナダで改革者の反乱が起きる(1837年~1838年)。

1841年-第4の学校法が通過する。この法令は宗教学校制度の基盤となる。

1845年-第5の学校法が通過する。この法令により自治運営の教育委員会が設立される。モントリオールとケベック市ではカトリックとプロテスタントの2つの教育委員会が設立される。

1849年-女性土地所有者に許されていた地方自治体選挙権が撤回される。

1833年-モントリオール市の基本定款が成立する。最初の選挙が行われ、ジャック・ヴィジェがモントリオール最初の市長として選出される。

1840年-連合法により、ローワー・カナダとアッパー・カナダが統合される。

1849年-1837年から1838年の反乱で財産を失ったローワー・カナダの住民を補償するため、「反乱損失法案」が制定される。

19世紀
第3四半期

1860年-アメリカ合衆国(イリノイ州ブルボネ)に初めて、コングレガシオンの支部が置かれる。

1857年-ケベック州に最初の師範学校が開校。仏語系カトリック校2校(男子校のジャック・カルチエ・ド・モンレアル師範学校と女子校のラヴァル師範学校)と、英語系プロテスタント校1校(マクドナルド師範学校で、同校は共学のマギール大学の兄弟校)。

1859年-ケベック州の公立学校制度を管理するため、公立教育諮問委員会が設立される。

1869年-ケベック州で初めての公立教育省が設立される。

1869年-インディアン法が連邦議会を通過する。

1870年-義務教育実施法がオンタリオ州議会を通過する。

1854年-封建領主制度が廃止される。

1857年-オタワがカナダの首都となる。

1867年-英領北米法により、ニューブランズウィック、ノヴァスコシア、ケベック、オンタリオの4州が統合され、連邦国家である自治領カナダが誕生する。

1870年-マニトバ、ノースウェストテリトリー、ルパートランドが連邦に加入する。

1871年-ブリティッシュコロンビアが連邦に加入する。

1873年-プリンスエドワードアイランドが連邦に加入する。

19世紀
最終四半期

1880年-5番目の母院(1880年~1893年)。「山上の母院」として知られる。

1893年-母院が火事で破壊される。シスターたちはサンジャン・バティスト通りの母院に戻る(1893年~1908年)。

1893年-コングレガシオン・ド・ノートルダムはシカゴの米国博覧会に参加する。

1897年-北米最初の女性のための中等教育以降の教育機関であるマウント・セントバーナード・カレッジにより、最初の学士号が数人の女性に授与される。同校は1883年、コングレガシオンによりノヴァスコシア州アンティゴニッシュに開校された。

1899年-コングレガシオンの管轄下、ジャック・カルチエ・ド・モンレアル師範学校の姉妹校が開校。

1882年-未婚の女性土地所有者がオンタリオ州の地方自治体選挙権を獲得する。

1888年-モントリオールの英語系大学であるマギール大学が教養学部と師範学部の学士号を初めて女性たちに授与する。

1889年-成年の女性土地所有者と未亡人の土地所有者が連邦議会の選挙権を取得する。

1892年-未婚か既婚かにかかわらず、成年女性はケベック州の地方自治体会選挙権を取得する。

1885年-西部カナダでのメティスの反乱の結果、反乱の首謀者ルイ・リエルはリジャイナで裁判され、絞首刑となる。

20世紀
第1四半期

1907年-コングレガシオンはポワント・サンシャルルに最初の商業講座を開設する。

1908年-母院はシャーブルック通り西3040番地に移る(1908年~1985年)。6番目の母院。

1908年-ケベックで女性のための最初のカレッジである女子高等師範学校が、コングレガシオンの管轄下に母院で開校する。1926年、同校はマルグリット・ブールジョワ・カレッジとなる。

1911年-女子高等師範学校の最初の卒業生、マリー・ゲラン・ラジョワは学土号試験でトップの成績を占める。

1922年-人文科学プログラムがケベックにあるコングレガシオンの多くの学校のカリキュラムに加わり、大学教育への足掛かりとなる。

1900年-パリ世界博覧会が開催される。

1916年-マリー・ゲラン・ラジョワが仏語大学から学位をうけ、最初の仏語系女性学士となる。

1917年-軍人と親戚関係にある女性が連邦選挙の選挙権を取得する。オンタリオ州、ブリティッシュコロンビア州の女性は州選挙の選挙権を取得する。

1918年-すべての女性が連邦選挙の選挙権を取得する。

1905年-連邦政府はノースウェストテリトリーズを分割し、アルバータ州、サスカチュワン州、ノースウェスト準州とする。

1914年-第一次世界大戦の勃発(1914年~1918年)。

Deuxième quart du XXe siècle

1928年-アンティゴニッシュ(ノヴァスコシア州)のマウント・セントバーナード・カレッジで、コングレガシオンは、家政学の学士号に導く新しいプログラムを設立する。

1932年-日本の福島に初めて、コングレガシオンの宣教支部が置かれる。

1941年-太平洋戦争勃発(1941年~1945年)。日本にいたカナダ人シスターは捕虜として拘禁される。

1932年-モントリオールで、財産分離契約のもとに結婚したか、土地を所有するか、あるいは賃貸家屋を持つ女性は、地方自治体選挙権を取得する。

1940年-ケベック州の女性はすべて、州レベルの選挙権を取得する。

1941年-人頭税を払うケベック州の女性は市町村レベルの選挙権を取得する。

1939年-第二次世界大戦が勃発(1939年~1945年)。

1949年-ニューファンドランドが連邦に加入する。

20世紀
第3四半期

1950年-マルグリット・ブールジョワ、教皇ピオ十二世により列福される。

1962年-ラテンアメリカ(ホンデュラスの首都テグシガルパ)に初めて、コングレガシオンの宣教支部が置かれる。

1964年-グアテマラに初めて、コングレガシオンの支部が置かれる。

1965年-チリに初めて、コングレガシオンの支部が置かれる(1965年~1973年)。

1966年-ポワント・サンシャルルにサン・ガブリエル博物館が落成する。

1970年-アフリカ(カメルーン)に初めて、コングレガシオンの支部が置かれる。

1960年-カナダ先住民は連邦選挙の選挙権を取得する。

1960年-教育調査王立委員会が設立される。パロン委員会と呼ばれるこの委員会の使命はケベックの教育制度を抜本的に改組することにある。

1963年-パロン委員会の調査報告(1963年~1966年)が発表される。

1964年-ケベック州教育省が発足。

1965年-1962年にヴァチカンで始まったカトリック教会第二公会議が終了する。第二ヴァチカン公会議として知られるこの公会議の焦点はカトリック教会を近代社会に開くことにある。

1967年-モントリオールで世界博が開始。

1967年-CEGEP(一般教育および職業教育を教えるカレッジ)がケベック州に創立される。

1968年-師範学校と家政科学校が閉鎖される。

1968年-総合学校が開校する。

1968年-先住民が州選挙の選挙権を取得する。

 

20世紀
最終四半期

1980年-マルグリット・ブールジョワのミッションとカリスマを生きることを望む一般信者のグループであるCNDアソシエート制が発足する。

1981年-フランスのトロワにコングレガシオン・ド・ノートルダムが開設される。

1982年-マルグリット・ブールジョワ、教皇ヨハネ・パウロ二世により列聖される。カナダ教会最初の聖人。

1985年-母院がウェストマウント通りに移転(1985年~2005年)。7番目の母院。

1988年-エルサルバドルに初めて、コングレガシオンの宣教支部が置かれる。

1998年-モントリオール旧市街の歴史的場所にマルグリット・ブールジョワ博物館が開館する。

1975年-人間の権利と自由を宣言する憲章がケベック州で採択される。

1997年-従来の宗派に基づく教育委員会に代わり、言語に基づく教育委員会が設置される。

 
21世紀 2005年-母院はシャーブルック通り西2330番地に移る。8番目の母院。