1867年、カナダの州の間にやっと、今までになく長続きのする立憲的関係が生まれました。この年、英領北米法により、ノヴァスコシア州、ニューブランズウィック州、ケベック州、そしてオンタリオ州が統合され、カナダ連邦が誕生しました。詩篇から引用したこの国のモットーは、今なお生きています。「王が海から海まで……支配しますように。」(詩篇72:8)
1870年にマニトバ州とノースウェスト準州が、1871年にブリティッシュコロンビア州が、1873年にプリンスエドワードアイランド州がカナダ連邦に加入しました。1905年のサスカチュワン州とアルバータ州の加入により、ニューファンドランド州を除く現在のカナダが形作られました(ニューファンドランド州は1949年に加入)。
この時代に西海岸から東海岸をつなぐ大鉄道が建設されました。また、特に西に向かう移民が増え、産業化が進み、中部カナダでは農村人口が都市に移動し都市成長が進んだ時代でもあります。1867年の統合にもかかわらず、3つの「建国民族」である先住民、英国系、フランス系の間の緊張は依然として続き、時には激化しました。この緊張は、「マニトバ学校問題」や、西部カナダでのメティス(先住人との混血)の2つ武装反乱に見られます。国家を建設するには、違いを調停できる指導者や、異質の人といかに仲良くするかを生徒に教えることのできる教育者を必要としたのです。